重松囃子は、江戸時代末期から明治時代にかけて所沢に住んでいた古谷重松氏が江戸の葛西囃子などを元に独自の節回しと曲目を考案し、近郷近住に広めたといわれています。使用する鳴物は七孔の篠笛、大太鼓1個、締太鼓2個、当り鉦1個に拍子木が加わります。市内の萩ノ尾・赤堀地区に伝わる重松囃子は明治時代初期に農家の蚕室を稽古場にして、古谷重松が自ら村の有志に指導したといわれています。入間市の久保稲荷神社に奉納されている明治7年(1874)2月の「古谷重松太鼓連中奉納絵馬」には重松が指導した囃子連の短冊が描かれており、その中に「はきのふ」と記された短冊があることから、重松が明治7年以前に萩ノ尾地区で囃子の指導をしていたことがわかりました。
その後、後継者不足から昭和初期に入り囃子は途絶えてしまいましたが、昭和29年(1954)に地元有志が復活させ、平成4年からは昭和40年代に子供囃子を経験した方々が保存会に加わり芸能の伝承が図られています。